創業者ご紹介と忠彦丸海苔の歴史

1.野島の海苔の歴史

野島の海は潮の流れが速く、上質な真水が混じるので 海苔にとって最適な環境です。

金沢の海苔の養殖が始まったのは明治10年(1877年)頃と言われております。

最盛期には富岡~野島全域の海岸で行われていました。 昭和45年頃から海岸線の埋め立てが始まり、海苔の養殖も衰えてきましたが、

20年ほど前から、野島の北側の海岸で海苔の生産が再開し、「 金沢 野島 の海苔 」 が復活しました。
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2.海苔の養殖

昔の養殖では、浜の浅瀬に “ ひび ” と呼ばれる木の枝を立て 海中に漂う海苔が付着するのを待つ … 云わば 自然任せの方法でしたが、現在では “ 陸上採苗 ” という方法に変わりました。

網に海苔の種を植え付けて、それを海中で育てて収穫します。

海苔の種を育てる期間を 「 育苗 」と言い、この時期には台風などの影響で海苔が傷みやすく きめ細かな世話が必要となります。

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3.忠彦丸 本店 海苔 の歴史

忠彦丸は 黒川金太郎 の実子、黒川忠彦が 漁師になった事から 始まりました。

そして 黒川忠彦が養殖・採取してきた海苔を、忠彦の妻である 黒川あい子に 生成・販売させ 「 忠彦丸 海苔 」が誕生したのです。

三代目に充たる 現 取締役社長 黒川和彦が そのすべてを引き継ぎ、神奈川県下に 「 金沢八景 野島名産 忠彦丸 海苔 」の名を広めました。

現在は更に 黒川和彦の次世代、長女である川口千里に継承し “ 野島名産の海苔の伝統と文化 ” そして “ 新しい野島の未来 ” に向けて 日々精進しております。

大切に守られてきた 野島の宝を、これからも 忠彦丸 本店 海苔 は、守り続けます―――

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